親子で必見!判断しない生活のススメ

雑記

 僕は今生活がどんどんシンプルになってきている。
 これは決して短調で退屈な毎日を送っているというわけではない。毎日違う出来事に出会うし、毎日楽しく過ごしている。ただ、必要の無い『判断』は出来るだけ発生しないようにしている。僕は教師の仕事を辞めて新しい仕事を始めてからこうした『生活の整理』を行うことで上手くいくことが多くなっている。これに関しては単に僕が心地よいというだけでなく『子育て』や『教育』に関しても上手くいくコツが見えてきたので今日はそれについて紹介しようと思う。

①生活ルーティンを決める 

 最近でこそ少なくなって来たが、コロナ禍によって芸能人Youtuberが増えた時にやたらに目にしたのが『〇〇ルーティーン』動画である。YouTubeなど熱心なファンが見ることを前提にした媒体ではこうしたテーマを取り扱うことは結構受けが良いみたいだ。
 ただ、この生活にルーティーンを置くということは、多くの子どもや大人にとってより良い生活になるきっかけになることが多いのではないかと感じている。
 例えば、僕は毎日平日決まったルーティーンを置いて生活している。6時に起きる。朝ごはんの支度をする。子どもと一緒に朝食を食べる。子どもの朝の支度の声掛け(体温を計る、歯磨きの仕上げ、水筒の準備)。筋トレ。自分の身支度。7時20分に子どもを送り出し。YouTubeを聞きながら洗濯物を畳む、干す。ゴミ出しも終えて朝のルーティーンは終了だ。
 こうして決めておけば、面倒だと思うスキを与えないで済む。さらに毎日『習慣化』させてしまえば忘れることの方が少ない。意識してやるかやらないかを決めることなく、何となくやっていないことに心配を覚えるようにもなってくるのだ。
 よく『3日坊主』という言葉を耳にするが、何かを新しく始める時に僕は必ず①いつ②どこで③どんな方法で④どのくらいやるかを決めておくことにしている。逆にこれを決めても入り込むスキが無いくらいの生活なら『やらない』ことの方が多い。物理的に考えて続ける余地の少ない活動はやり始めることで『3日坊主』である自分を自分の頭に刷り込むようなことなので初めからやめておいた方が良い。

つまり、
 何かを続けて欲しいと願う親は子どもに①いつ②どこで③どんな方法で④どのくらいやるかを明確にルール作りして始めると上手くいくことが多い

②こだわりの少ないことは『決めてしまう』 

 僕たちは、判断することにエネルギーを使うのだということを認識していないことがとても多い。僕は窮屈な制服を着るのは大嫌いだったが人によっては制服を好む人が一定数いるのも事実である。ただ、この制服が良いと感じている理由でよく登場するのが「服を毎日選ぶのが大変だから…」というものがある。確かに僕はその点は理解できる。服を選ぶことに時間を使ってはいられない人の気持ちはわかる。だからこそ、僕は信用できる友だちに任せるということを実践している。
 僕が新しい仕事を始めたのとほぼ同時期に友だちが古着屋を始めた。僕はその時から基本的に彼からしか服は買わないと決めた。今までは大阪に買い物に出かけて街をブラブラしながら好きな服や靴を探し歩いていたがもうその時間は必要なくなった。この決定によって僕は服を探すことに要する全ての時間をカットすることに成功した。逆にこれを決めたことによって「新しい服が欲しいな…」とネットサーフィンする時間も消えた。
 もちろん、毎日わくわくするような『選択』が待っているならばそれは良いことだ。ただ、それについて考えたり、値段を見て一喜一憂したり、迷ったりする時間をわざとなくしたことによって自分の生活がシンプルになり他のことに時間が使えるようになったことは幸せなことだ。

僕の決めている靴下はコチラ↓↓
(5本指は足が臭くならないと聞いてからはこれ1択です。笑)

③見直しは数ヶ月に一度 

 何でもかんでも「自分には合っていない…向いていない…」という子がいる。これは大人でもよく聞く「うちの子には合っていない…」というフレーズだ。僕はこれを聞くたびに「ちゃんとデータを取ったのか?」と疑問に思うことがある。
 僕は勉強する目的は「自分を好きになるため」だと話すことがよくある。ただ、好きか嫌いか、向き不向きなんてものは物理的に量をこなさないと見えてこない。しかも、この量は漫然とこなしているだけでは『質』まで分析することはできない。
 僕たちが施設で取り入れている『けテぶれ学習法』もこの点で気に入っている。点数を取ること、学力を伸ばすことを目標にしつつも常に『データ』を取ることを大切にするという姿勢がすごく共感できる。『つまんないな』と感じたことも、上手くいかないなと感じたことも、スラスラと解けた計算問題も結果だけ見れば『できた』『できない』という2択になってしまう。しかし、これでは深い学習や応用力なんて論じることはできない。自分に合っている、合っていないを論じることができるのは自分にきちんとベクトルを向け、失敗にしろ、成功にしろきちんと『データ』を残した者にしか見えない世界は確実にあるのだ。自分の生活をシンプルにしたとてそこに自信が持てなければ続けることはできない。
 まず僕らが『自分』をきちんと知ることによって未来は開けるのだろうと最近よく思う。

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