家庭学習応援施設My Placeでは、常に子どもが食べてもいい『お菓子』を置いている。
ただ、この『お菓子』それなりに消費が早く、最近さらに消費が早い。
理由は簡単である。利用者が増えて、「お菓子でも食べようぜ!」のコミュニケーションが増えたからである。
僕は、この『お菓子』はどれだけ食べていても注意はしていない。食べない子もいれば、これでもかというくらい食べる子もいる。平等を敷くことが出来ないので『お菓子』代を別途もらうことはしていない。
子どもたちには、『リフレッシュ』にどうぞ。くらいに軽く言っているし、それ自体も本心ではあるが、僕はこの『お菓子』に手を伸ばせる『場』にはとても大きな『想い』を込めている。
『ルール』は人を育てない
僕が小学校教員時代に感じていた、というより昔から『学校』に感じていた息苦しさの1つに『多すぎるルール』がある。
子どもの僕には見えていなかった意図はたくさんあっただろうし、「君たちのためだ。」と言われれば、「まぁそうなのかな?」くらいに思っていたこともたくさんあるが、大人になった今でも靴下の色や靴の色を必死になって『白』に統一しようとしている大人の気持ちはわからないままだ。
それでも「悪法も法だ。」と従って過ごすことがほとんどだった。
教師として7年半働いていて何度も『ルール』の削減に声をあげた。なぜなら、僕たちは子どもを導く立場にある以上、子どもが『成長』するための余白を奪ってはいけないと考えていたからだ。どっちが正解だとも言われていない場面にこそ一歩立ち止まって『考える』チャンスが隠れているとそう信じていたからだ。
消えた『場』が何を奪ったか
小学校の教員として、そして子を持つ親として今の世の中を眺めた時に圧倒的に経験の『場』が減ったなと感じる。
その1つが『親同士の繋がりが薄いお家へのお邪魔しますの経験』だ。
大人不在の家の多くは家の中に子どもだけで遊ぶことを禁じている。多くの子どもたちが公園や家の前で遊んでいる。仮にお家にお邪魔しますの経験が出来たとしても『親同士がよく知った関係』がほとんどである。友だちのお家にお邪魔しますの経験が不足している子が絶対的に増えているなと僕は教師という仕事をしながら感じていた。習い事の種類も多様化して子どももかなり忙しくなっていることも原因かもしれない。
僕らが何となく感じていた『他人の家に招かれる緊張感』を経験しない子もたくさんいるかもしれない。親としては、なかなか『挨拶』にもいけない関係のお家にお邪魔して大きな迷惑を掛けたら…なんてことを考えると確かに気持ちは分かる。ただ、この『経験』によって僕たちは『他人の家での許される範囲』を少しずつ学んでいったのだと今では思うことがある。食べ散らかしたり、大騒ぎしたり、入ってはいけない部屋に入ったりすれば僕らの『遊び場』が減ってしまう無意識の『緊張感』みたいなものを持っていたように感じる。
『指導』では無く『きっかけ』に!
話は戻ってうちの施設の『お菓子』だが、この急激なお菓子の減りを止める方法はいくつか『方法』がある。
①買うのを止める
②個数のルールを敷いて管理する
③お菓子代を徴収するである
だけど、僕はそれは『教育』のチャンスを逃してしまうような気がしている。
自分が食べすぎると全体がどうなるのかに目を向けさせることもできるし、そもそも食べてもいいけどゴミくらいはきちんと捨てるべきだよねと教えてやるもよし、お菓子のゴミでパンパンになったゴミ箱に無理に詰め込めばあとで掃除をするのが大変なんだと教えることだってできる。
それに何より大切な「こんなことで困っているんだけれど!」というSOSを出す『チャンス』が舞い込んで来るということが一番大きい。『ルール』使って効率的に乗り切ってしまえば『子ども』たちは誰かが困っていることも知らずに大人になるかもしれない。
僕たちは今、誰もが経験したことの無い『見えない敵』に立ち向かうような生活を強いられている。インターネットを見れば『正論のぶつけ合い』や『足の引っ張り合い』に溢れている。巻き込まれないために人は『安心出来る関係を築ける人の数』をどんどん絞り込まざるを得ない。他人のSOSに手を貸した人を責める人まで現れているのだから当然かもしれない。
1995年1月17日。僕は小学3年生だった。そう。阪神淡路大震災の日だ。朝、カーテンを開けると目の前の家が無くなっていた。僕の父は、家族がひと段落した時にそこへ助けに向かっていた。子ども心に「えっ知り合いやったん?」と感じていたが、きっと違うはずだ。あの場面では、知っているか知らないかを問う場面では無い。自分たちの『正義』の在り処を探って出た答えがそれだったのだと今僕は思っている。
大人だって子どもだって漫然と生きるだけでは、一歩立ち止まって考えることはしないはずだ。
家庭学習応援施設My Placeという場所は決して『学習施設』だとは思っていない。『教育施設』だ。
「お菓子の減りが早いこと」を解決する必要はない。お腹がすくような生活をすれば食べたいだろうし、食べてくれて問題ない。ルールで縛りつける気はさらさら無い。たまにそれぞれの親御さんが差し入れてくれる『お菓子』がどれほどありがたいものなのかを子どもたちが知ればいいことだし、僕はこれからも『お菓子』の溢れる『教育施設』を作り続けるつもりだ。それより何より一歩立ち止まって自分を奮い立たせる『きっかけ』を子どもが見つけてくれれば僕の投資は大成功だと思っている。
僕はこれからも『優しさで回る小さなコミュニティ』を大切に育てていきたい。
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