学校じゃ教えてくれない〇〇ブーム

教育

 皆さんは、日頃の生活で『学校じゃ教えてくれない〇〇』というフレーズを耳にしたり、目にしたりすることはありませんか?

 僕は学校で働いていた立場だったのでこうしたフレーズに対するアンテナを張って生きていました。子ども用に出版されている本の中にも結構こういうキャッチフレーズがよく使われていて、『なるほどなぁ』と思うようなこともたくさん書かれています。
 よく言われていることではありますが、日本の小中学校では、『お金』についての勉強はほとんどしません。ネットなんかを覗いてみると「歴史の年号なんかより役に立つのに何で学校の先生って『お金』のことについて教えてくれないんだろう…」みたいなことが書かれていることがある。
 意見としてはよくわかるのだけれど、このフレーズにまつわる風潮を見直すことが日本の『教育』を正しく見直す経緯になるのではないかと思っています。

1.何でも屋になりつつある『学校』

 『学校』で何を教えるか、つまり教える内容は『学習指導要領』に書かれています。
 『学習指導要領』は、10年に一度改訂されていて、去年が小学校、今年が中学校、来年が高校で新しい指導要領が展開されています。
 僕は、何でもかんでも『学校』で教えなくてはならない現状をきちんと見直すことも大切だと思っています。
 現代社会では、家庭で大人と過ごす時間が昔よりもずいぶん少なくなっています。
 しかしそれとは逆に、インターネットによって『家族』よりも遥かに多くの『知識』を提供してくれる『環境』を子どもたちは手にしています。必要になる『知識』が増えれば当然教えておいた方が良いだろうことは増え、『社会問題』の多くが『学校』で『教えなくてはならないこと』にシフトされていっている風潮さえ感じます。
 ただ、ネットマナーなんかを『授業化』したところで教師の方が『知識』を持っていないことも少なくはないわけで何でも『学校』で教えることにしてしまうと逆に国民は『損』をするのではないかなと感じています。

 また、『学校では教えてくれない』というフレーズに『悪意』を感じるのは僕だけでしょうか?
 確かに、世の中には『学校』では教えることになっていないが『大切なこと』というのはたくさんあるということはよく分かります。
 でも、『学ぶ場所』が常に『学校』でないといけないわけではありません。
 『学校』という場所はあくまでも『学習指導要領』に沿って『教育』が展開されていないといけない場所であって、『学校では教えてくれない〇〇』というフレーズは場合によっては『ガソリンスタンドでは売ってくれないりんご』というキャッチフレーズで八百屋でりんごを売るみたいなものなのです。
 僕たち大人が議論すべきは、それぞれの『内容』をどこで学ぶのが良いかを冷静に分析し、その声をお互いが共有することなのではないでしょうか。

 例えば僕だってブログの書き方や動画の編集の仕方は『学校や親』が教えてくれたわけではありません。ただ、別にそれを『損』しているとは思っていません。世の中に『学ぶ場所』は無限にあるわけだし、それを学ぼうという『人間』に育ててくれたことが『親や学校』のしてくれたことだと思っています。学校という場は、こうした根っこの部分に脈々と繋がるものを追求する場所だと感じています。

2.『学校』=『教えてくれる』ではない

 『学校』が『教えてくれる場所』という意識も今問題になってきている概念です。
 今まで多くの『学校教育』のイメージは、教師が子どもに『教える』、子どもはそれを『聞く』『従う』という場所だった人が多いのではないでしょうか。僕だって偉そうなことを言えません。僕の行ってきたほとんどの授業が『一方通行型』の授業だったし、なかなか『学校』の仕組みを考えると僕の力では全ての子どもの『主体性』を引き出すことが出来てないなと感じていました。
 今、僕たちが考えないといけないのは、多くの子どもにとって『学校』という場所は、『学ぶため』に行きたい場所になっているかどうかということじゃないかと思います。
 行きたくないけど、いやいや行かされたり、『勉強』は我慢するものだとしていたりする子に『主体性』なんて出るはずがありません。
 『学校』は誰かが何かを教えてくれる場所だと受け身になって通うような場所ではありません。
 これからの社会を生き抜くためには、何事からも自分の学びに繋げることを意識して『転用』する力を育てていくことが大切です。そうでないと『情報』に溢れたこの世の中で自分に必要なものを『取捨選択』することすらできなくなってしまいます。

3.内容の主導権は『教師』にはない

 それじゃあ僕らは今『学校』に通わせていて「もっとこんなことが学べるようになればいいのに!」という思いは誰に伝えればよいのでしょうか?
 これは間違いなく『教師』でも『学校長』でもありません。

 なぜなら、『教師』に内容を決める権限は無いからです。
 『学校』で働いているとお家の人から「学校で〇〇もしてくれればいいのに…」と言う声を聞いたり、教師から「それは教師がすることではない!!」という声を聞いたりすることがよくありました。
 僕は、『学校』のできることは『法律や規則に従う』しかないと思っています。これに対しマニュアルばかりを優先してという批判をするのは絶対に間違いです。
 もし、それが物足りないと思うなら、日本の社会では「お金を払って自分の教育観に合った学校を探して教育を受ける」ことが出来きます。
 それでもやっぱり納得がいかないなら、その『意見』を届ける先は『教師』ではなく『政治』なのである。
 

 コロナ禍の影響で、日本の『教育』が大きく変化しました。いや、もしかするとそのずっと前から変化しないといけない時は来ていたのかもしれません。僕らは今たくさんのことを考えないといけない状況に置かれています。
 『教育』を見直すこともその1つです。
 僕は『教師』を辞めましたが、決して『教師』の仕事を否定する気はありません。僕には合っていなかっただけだと思っています。
 それよりもこれからも『学校』からは発信しにくい『教育』の姿を世に広げ、お互いの良さをフルに活かして、一緒に『教育』について考えていければ素敵だなと思っています。

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