僕が通信制高校もやりたいワケ

学校

 明日で36歳になる。今振り返るときっと僕は『高校』に行った意味が無かった。
 もちろん、ラグビーを友だちとやっていた思い出や友だちとふざけ合った思い出などはあるので楽しくなかったワケでは無い。
 ただ、現代の日本でもう一度進路選択を出来るなら、まず普通科の公立高校には行かない。

 僕が中学3年生の時、僕の住む兵庫県西宮市では、公立高校の受験制度として総合選抜制度が取り入れられていた。この制度では市内の公立高校の普通科を受けたい子が一斉に受ける。基本的には自分住んでいる地域で振り分けられた高校に行く。たまに住んでいる地域とその年の合格者の人数によって隣の高校に調整が掛かったりもする制度だ。僕は学校の魅力なんてさっぱりわからず「とりあえずもう少し勉強はしておきたいから近場の学校へ」という選択肢で考えると一択だった。中学校の先生には、理数科や他の選択肢もあるぞと言われたが、僕には特に好きな教科は無かった。ただ好きだったのは勉強の内容では無く、点数のゲームをすることだったので先生の話は右から左へ聞き流していた。

 そして、そんな何も考えないで行った先で起きたのは悲惨な毎日だ。「全くわからない。授業を真剣に聞いてもわからない…課題を家でやっても全くわからない…」その結果とにかく僕は授業中のほとんどを睡眠に費やした。テスト勉強も中学までとは違ってちんぷんかんぷんの教科もたくさんあった。もちろん、これでは全く歯が立たず学力も全く付かずに浪人生活を送ったわけだが…

 では、なぜ僕にこんな悲惨な高校生活が訪れたのか?冷静に分析してみたい。

①そもそも『勉強』の楽しさがあやふやだった

 僕は中学生まで『勉強』をすることは楽しいと思っていた。出来ないことが出来るようになることは嬉しいことだし、やったことが『点数』になることが面白かった。
 だけれどこれは本当の『勉強』の楽しさではなかったのだ。公立中学校の定期テストで5教科の合計が400点ちょっと取れていて、クラスの中ではそれなりに良いとされる成績を取っていた僕は『勉強』することの楽しさでは無く、機械的な点数勝負を楽しむだけの空っぽの学力しか身についていなかったのだ。

②『学びを深めたい』気持ちが無かった

 何となく行った高校には『学びたいこと』なんていうものは落ちていない。何だか中学校の延長みたいなことをやっていたと思ったらもうさっぱりわからない『具体性の無い』ことがどんどん進んでいった。そんな毎日で『学びを深めたい』という気持ちが生まれるはずも無く、ただただ3年が過ぎ今度は大学受験だ。そのタイミングで「自分の将来のことを考えた進路選択を!」と言われたってずっと続けて行きたいと思えるような『学び』なんて見つけられなかった。

③選択肢が無かった(知らなかった)

 そもそも何で『高校』に行ったのか?兄が行ってたからだ。当時の僕の思考回路は単純明快で2歳年上の兄が進んだ方向と同じようなことを求めておけば特に失敗や怒られたりはしないだろうというものだった。とは言え、端から見れば全然マネは出来ていなかっただろう。兄は何事もコツコツ熱心に取り組むタイプだし、僕はすぐに飽きるし諦めるタイプだ。そりゃそうだ兄は自分でやりたいことを考えて、僕は自分に合っているかも考えずそのレースに参加するのだ。すぐに離脱するに決まっている。中学のクラブだってすぐに辞めたし、勝手気ままなスタイルだった。
 僕の目の前には自分で選び取るだけのハッキリとした選択肢が見えていなかったのだ。今ほど色々な学び方や選択肢がある時代では無かったことも間違いなく大きいと思う。それにインターネット検索だって今ほど快適ではない。調べることは出来たのだろうがそこに掛かる『不便さ』が選択肢を増やすことを阻んでいたのだと思う。

時代は完全に変わった

 僕はここにも書いたように決して模範的な学生では無かった。
 父のように賢いワケでも無く、兄のように努力が出来るワケでも無い、母のように多趣味なワケでも無い。そんな高校生だった僕に光をくれたのは何だ?
 大学4年間で得た『圧倒的な自由な時間』だ。この自由な時間こそが僕に『学ぶ楽しさ』や『学ぶ大切さ』を教えてくれたのだ。
 僕は法学部に入って法律の勉強を始めた。そして、ドイツ語を第二外国語として選択し、それにハマりにハマった。とにかくしたいことはとことんやった。ドイツにも自分の力で行ったし、ドイツ語検定も学び出した年の秋には3級を取得していた。サークルには入らなかったが、小さな頃からやっていたボーイスカウトの活動にも復帰して大学生の指導者として小学生や中学生のキャンプや野外活動を指導した。
 こんな生活を続けた3年間が過ぎた頃にやる『就職活動』は話せることだらけだ。とりあえず思った通りに話しておけば取ってくれるところはあるだろうと、「好きだな。」と思える会社に端からエントリーして内定が出た瞬間に就職活動を早々に終え、最後の1年は大学に1度も行かずにとにかく小学校でボランティアをしていた。
 僕にとってこの『経験』は人生の『軸』になるほどのたくさんのデータが取れた。それはなぜか?僕に『自由な時間』があったからだ。したいことに没頭できるからこそ『どんな風に生きたい?』かがわかっていくということを僕は身をもって知った。

 話をもとに戻して、現代社会を見てみよう。インターネットが広がり、僕らは『学ぶ場所』や機会に恵まれている。それでも何も学ばず同じことばかり繰り返している子は多い。なぜか?僕はこれについて「興味の無いことばかり目の前に積まれて『没頭』する機会に欠けているから」でないかと思っている。

 オリンピックの開会式でドローンが一斉に飛んで上空で様々な映像を映し出していたのを見て驚いた方もいるだろうが、世界はもっと先を進んでいる。あんな技術がもう何年も前からバンバンと進んでいるのだ。世界に向けた大きな開会式で世界のトップクラスでは無い演出をするのが今の日本だ。これからまだまだ遥かにインターネットの力で発展するだろう。僕は正直ワクワクしている。もちろん、身近な生活のレベルで激変するのは目に見えている。
 インターネットの発展によって間違いなくこれからも社会は大きく二極化が進むだろう。
『何もやろうとせずに目の前のことから逃げ、得意でないことに身を置き文句ばっかり言ってインターネットに時間を食われていく人』と『自分の発想や経験を生かして目の前の事実から想像力を生かして課題を生み出し、得意なことに没頭し、ワクワクするような仲間と一緒にインターネットを道具として有効活用する人』の二つだ。
 敢えて悪意のある嫌な書き方をしたがそれぐらい破壊的なイノベーションが間違いなくやってくる。子どもにももう間違いなく到来している。家族の反対を押し切り、今までの常識をぶち破り、起業したり、芸術的な才能を発揮したり、海外の学校でどんどん学びや可能性を広げたりする子。他者の揚げ足取りや友だちの頑張りを否定して羨ましがって自分は違うと卑屈になる。そして何もやらないでとにかく毎日を過ごす。たくさんの子どもと関わる仕事をしていると間違いなくこのような姿は身近な問題になりつつある。しかもこれは何も『子ども』が悪いわけでも『家庭』が悪いわけでもないのだ。今までの当たり前が通用しない時代がやってきたのだ。そして、時代はもう戻らないからこそ僕らが一度考える時がやってきているのでは無いかと思っている。

 僕は『教育者』としてそれなりにたくさんの子どもを『公立の小学校』という場で見て来た。素敵な出会いも何人もあった一方で、「いやぁ、この負のスパイラルって学校に来る限り(学校を変えるにも限界があったので)ずっと起こるんだろうな…」という厳しい現実もたくさん見て来た。人は多くの人が動く方へと動くことが多い。テストの点数が上がらなければ塾に行けばそれで解決すると思っている子も多いし、何となくみんなと同じ道を行けば失敗しにくいと思っている子もいる。
 でも、同じことが出来るということは『AI』や『機械』がめちゃくちゃ得意な領域だ。努力や精神論ではそれには太刀打ちできない。

 まだまだ『通信制高校』と聞くと関わる人の量が減る?だとか、通学生の高校が合っていない子が行く場所みたいに思っている子が多い。だけれど僕はこれ以上これからの社会に目の前のことに文句を言いながら誤魔化して生活しなくてはいけない子を増やしている余裕は無いと思っている。
 今も僕は小中学生に学習指導をしているが『勉強が嫌い』『やる気が無い』と言い続けて、大人に厳しく管理されないとやらない子には、きちんとそうでない方法や価値観を教えてあげなくてはいけないと思っている。ただ、そうなるようにと投げ掛けてもSOSから救い出す為の余裕する無い。そしてそうした子たちは皆『意欲』の根っこからへし折られている。だが、それを乗り越えた何人もの不登校の子どもたちが殻を破ってきたのを目にして来たのも事実だ。
 なぜか?一旦、自分の本当にすべきことをとらえ直す余裕を持ったからだと思う。

 僕には本当に心の底から伝えたいメッセージがある。勉強が嫌いだ。毎日やる気が出ないという中学3年生、そして今どこかの高校に通っている子けれど同じような子は是非一度通信制高校を考えてみて欲しい。間違い無く、僕たちはあなたの人生に寄り添える自信がある。

コメント

タイトルとURLをコピーしました