My Placeでは不登校の支援も行っているのだが、不登校の支援に関わっているとふと思うことがある。
「学校って一体何なのだろう?」ということである。
僕が子どもの頃『学校』が好きかと聞かれればきっと「好きだ。」と答えていたと思う。ただ、その好きはあくまでも『授業』は入っていなかった。友だちが居て、何人かの仲の良い先生が居て、たまに行事があって、その『楽しさ』を『つまらない授業』と『大嫌いな先生』と『息苦しいルール』と相殺して結果『好き』寄りだったのかもしれない。
僕は『小学校』よりも『中学校』の方が圧倒的に嫌いだった。
それはなぜか?当時は自分でもよくわかっていなかった。でも、今考えると自分の今の『性格』から考えても『中学校』という場に馴染めなかったのは当然なのかもしれない。
僕が『中学校』が苦手だった理由を分析すると…
・部活にそこまでやる気が無くすぐ辞めた
・制服が窮屈
・授業中のどこまでふざけて良いかがよくわからない(突然怒り出す先生)
・授業を聞いていても楽しくない
・テスト勉強を自分でしたら『点数』は取れてしまう
・生徒会役員に入ってみたものの形だけで子どもの意見は通らない
・よくわからない連帯責任が多い
僕はこれらが「今はわからないかもしれないが、将来役に立つ!」と言われてまぁまぁ従ってきた。だけれど、はっきり言ってどれも我慢した割に得たものは少ない。それよりも『友だちとの繋がり』がわずかに残っているという点が僕の人生には生きている。
不登校の問題を支援する際に最も気を付けておかないといけないのは、『学校』の位置づけを明確にしておくということだと僕は思っている。
支援の方向性は、それぞれによって違いはあるだろうし、『正解』は無い。だからこそ、僕は「家族の選択を不正解にしない。」という点を意識して支援にあたることにしている。そりゃ望んで楽しく行けるなら『学校』に行くと良いこともたくさんあるだろう。ただ、これが誰にとっても唯一無二の正解では無いということは心に刻んでおきたい。多様な選択肢が実現できるような世の中だけに、子どもにも家族にも『安心できる繋がり』を何かしら提供できるような手段を考えるこうした『支援』を僕は広げていきたい。
不登校支援のこれから…
とは言え、僕も偉そうなことが言える立場では無い。まだまだ、My Placeで行う支援では『学校に行けないことが辛い』というゾーンから抜け出してあげることは出来ていないと思う。これは僕やMy Placeの仕組みがまだまだ不十分だということの証明であるかと思っている。子どもやその家族に『学校に行けない辛さ』が残るような支援では無く、『学校に行かないという前向きな一歩』に変わる場所にはほど遠いのかもしれないし、それだけの『価値』が提供できていないのも現実なのだと思う。
どれだけ頑張ってもMy Placeは『学校』では無い。
でも、成長するための『選択肢』としてもっともっと僕らにできることを模索していきたい。僕は仕事柄何人もの『学校に行けない子』や『学校に行かない子』を見てきた。ただ、『学校』に『行かないこと』や『行けないこと』は人生を止めてしまうことでは無い。選択肢が無数に伸びるこの世の中でMy Placeはいつか見つけてもらえるようにこれからもここに居続けようと思う。
※My Placeからの直接の支援を受けたい場合は、My Placeに直接ご連絡をお願いします。
コメント