My Placeは「塾」ではありません
My Placeは学習塾ではありません。(2026年4月より学習塾事業CHANGEをスタートしています。)
これは、新しく利用してくれる方全員に、必ずお伝えしていることです。
それでもやっぱり、子どもたちや保護者の方の中には「塾っぽい場所」という印象が残っているのも事実です。
それはたぶん、真剣に勉強している、受験を見据えて通っている子がいる、という現実があるからだと思います。
実際、My Placeに通いながら公立高校入試を目指して勉強している子もいますし、去年も確かにいました。
それでも僕が「うちは塾じゃない」と言い続けるのには、はっきりした理由があります。
公立高校入試は、フェアなゲームなのか?
特に兵庫県、とくにMy Placeがある第2学区の公立高校入試。
僕は正直に言って、この試験はフェアじゃないと思っています。
だから、「学習指導に特化した塾」に思い切って舵を切れない。
このモヤモヤが、ずっと消えずに残っているんです。
今日は、その正体をちゃんと書いておこうと思います。
内申点という「見えにくい不公平」
兵庫県の公立高校入試では、内申点が大きな比重を占めています。
第2学区では、内申点はこんな計算です。
国・社・数・理・英 5段階評定 × 4倍 × 5教科 = 100点
技家・美術・音楽・保健体育 5段階評定 × 7.5倍 × 4教科 = 150点
合計 250点満点。
これに第1志望加算20点
当日の5教科試験を合わせて、合否が決まります。
「一発勝負じゃないから安心」そう感じる人も多いと思います。
でも、本当にそうでしょうか。
選抜試験に必要なのは「情」じゃない
高校入試は、あくまで選抜試験です。
合格する子がいれば、不合格になる子もいる。
そこに必要なのは、努力をねぎらう気持ちでも、背景への配慮でもなく、フェアであること。
点数で切る以上、公平でなければいけないはずです。
でも内申点は、そもそも揃っていない
大学入試共通テストで記述式が見送られた理由、覚えていますか?
「採点者によって評価がブレる可能性があるから」受験生に不利益が出るのはダメだ、という判断でした。
これは、選抜試験としては極めて正しい判断です。
ところが、中学生の内申点はどうでしょう。
学校によって違う
先生によって基準が違う
定期テストの作りも違う
提出物・挙手・態度が評価に影響することもある
これで「公平」だと言えるでしょうか。
同じ力を持っていても、環境次第で点が変わる。
そんな内申点が、250点中の大部分を占めている。
しかも、当日の試験で力を出せない子が合格することも多い。
つまり、内申点の重みは想像以上に大きいということです。
アンフェアだと知った上で、どう進むか
僕はこの制度に対して、「意味がない」「やめるべきだ」と言いたいわけではありません。
伝えたいことは、2つだけです。
① 成績で脅す人を信じなくていい
学力と向き合うこと自体は、どの子にとっても大切です。
将来のために「どこで、何を学びたいか」を考えるのも必要です。
でも、成績を盾に不安をあおる。言うことを聞かせるために点数を使う。
そんな関わり方をする人は、
信じなくていい。
応援や励ましならまだしも、
恐怖で動かそうとする人の言葉に
耳を預ける必要はありません。
人生の主導権は、
子ども本人にあります。
② 点数のために、心を壊してはいけない
内申点のために、
- 行きたくない学校に無理して行く
- 心が限界なのに登校を続ける
- 苦しさを我慢し続ける
そんな話を、
僕は何度も聞いてきました。
その結果、
- 学ぶことが嫌いになる
- 生活そのものが止まる
これは、
あまりにも大きな代償です。
アンフェアなゲームのために、
もっと大切なものを失ってはいけない。
それでも、僕たちにできること
制度を決めているのは、
僕たちではありません。
正しいことを言ったからといって、
すぐに変わる世界でもありません。
それでも、
声を上げることはできる。
声がなければ、
「問題は存在しないこと」になってしまうからです。
そして、
もし声が届かないなら、
「それが人生のすべてじゃない」
そう割り切る強さも、
同じくらい大切だと思っています。
My Placeが守りたいもの
僕が本当に大事にしたいのは、
点数の上下ではなく、
その人が幸せに生きられそうかどうかです。
My Placeは、
- それぞれの生き方を探す場所
- 自分のペースを取り戻す場所
- 選択肢を一緒に考える場所
であり続けたい。
フェアじゃない世界の中でも、
自分の人生を投げ出さずにいられる。
そんな人を支えられる場所でいたいと思っています。


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