自分の心を守る、という決断
僕は、教師を辞める直前に適応障害と診断され、退職した。
突然いなくなることで、多くの子どもたちを驚かせてしまったことは事実だし、今でも申し訳なさは残っている。
それでも、当時の僕が本当に守らなければならなかったものは、「教師という立場」でも「責任感」でもなく、自分自身の命と心だった。
今日は、その時の経験を通して強く感じた「自分の心を守ることの大切さ」について書きたい。
「死にたくない」と思えたこと
退職したのは、教師になって8年目の途中だった。
異動したばかりの新しい学校は、業務量も少なく、環境としては前の年よりずっと楽だった。
それでも、2学期の3週目。
出勤しようとすると、動悸がして、体が震え、準備をする気力が湧かなくなった。
その瞬間、はっきり分かった。
「これは心のSOSだ」と。
以前、突然声が出なくなった経験があったからこそ、今回はすぐに病院に行くことができた。
医師から言われたのは、「とにかく、今は休みなさい」という言葉だった。
無理をすれば、きっと働けたかもしれない。
同じような苦しさを抱えながら、働き続けている人も世の中にはたくさんいるだろう。
「自分は弱いのではないか」「無責任なのではないか」
そんな考えが頭をよぎったのも事実だ。
それでも、僕は休むことを選んだ。
理由はとてもシンプルだった。
死にたくなかった。
声を失った日が教えてくれたこと
声が出なくなったあの日、僕は何度か「死んだらどうなるんだろう」と考えた。
今振り返れば、明らかに精神状態は正常ではなかった。
それでも、当時の自分はそれに気づけなかった。
この経験を通して、僕は知った。
自分の心は、決して強くないということを。
だからこそ、再び限界のサインが出た時、「守らなきゃいけない」とすぐに判断できた。
誰かに迷惑をかけることになってもいい。
自分の代わりに誰かが働くことになってもいい。
それよりも、「生きていたい」という気持ちを選ぶことが、僕には必要だった。
心の病気は、なぜ予防されにくいのか
僕たちは子どもの頃から、自分に厳しくあれ。他人に迷惑をかけるな。我慢することが美徳。
そんな価値観を、無意識のうちに刷り込まれてきた。
だからこそ、違う選択をすると「昔はもっと厳しかった」「これくらいで音を上げるな」そんな言葉が平気で投げられる。
身体の病気には、予防がある。
マスクをし、消毒をし、危険を避ける。
では、心はどうだろう。
心がしんどくなった人に、本当に優しい社会になっているだろうか。
「あなたはどうしたい?」に答えられない社会
最近、「あなたはどうしたい?」と聞かれて、答えに詰まる人が増えているように感じる。
自由があるはずの社会で、自由の扱い方を学ばないまま大人になる人が多いのかもしれない。
僕は、今の子どもたちにこそ、自分の心の声を大切にして生きてほしいと思っている。
これからの日本は、一人ひとりが欠けること自体が、大きな損失になる社会だ。
人に言われたことを、陰で文句を言いながらイヤイヤ続ける生き方では、幸せには近づけない。
離れることは「逃げ」じゃない
合わない人間関係から離れていい。
自分を否定し続ける環境を変えていい。
好きなことに没頭し、そこで得た人間関係や経験を土台に生きていくことは、決して悪いことではない。
苦手な場所から一度退くことは、逃げではなく、戦略的な退避だ。
心が壊れるまで耐えることより、壊れる前に距離を取ることの方が、ずっと勇気のいる選択だと、僕は思う。
自分の心を守ることは、わがままでも、無責任でもない。
それは、生き続けるための予防なのだから。


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