僕から声が消えちゃった

雑記

僕は、大学卒業後の1年半とちょっと日本トイザらス株式会社に勤めていた。この経験は、決して無駄では無かったし、今では自分の人生の『大きなきっかけ』にもなった特別な経験だと思っている。

正直、仕事は激務だった。でも、働くことに対する前のめりな姿勢や社会の色々な姿を目にすることが出来たことは、今思えば僕の『財産』にもなっている。

1.新人研修期間を終えて突然の出来事

僕は初め、ベビーザらスに配属になった。社会人1年目、右も左もわからない、単なるおもちゃやゲームが好きでトイザらスが大好きだっただけの僕はなぜかベビー用品の専門店『ベビーザらス』でキャリアをスタートさせたのであった。

子育てだってまだしたことも無い、単なる机上の空論でお客様の前に立たなくてはならない。しかも、裏に入ればパートのおばちゃんや学生をマネジメントする仕事をこなさないといけない。

僕はとにかく必死だった。ベビーフードにおむつ、チャイルドシートにベビーカー全てゼロからの知識を必死で押し込んでいった。

しかも、ほとんどの先輩社員は女性ばかり。人見知りの僕にとってはなかなか緊張する毎日だった。

でも、少しずつバイトの学生や職場の仲間に自分を出せるようになってきた。そして、新人研修はあっという間に終わった。

そして、言い渡された異動は、その前年、全国でも屈指の売上を誇る超多忙店であった。

2.仕事はプライドのぶつかり合い

当時、近隣店舗の中でも特に忙しかったその店での経験は僕にとってすごく刺激的だった。

社員の数も多く、揃いも揃って男性ばかり、運動部の部活のような上下関係で繋がっていた。

でも、働く社員全員が確実にどこかで評価されて来た人ばかりの環境に、ただただ僕は付いていくしか無かった。

その店には僕の同期もいた。彼は4月からその店で過ごしていてすでに勝手知ったる雰囲気だった。同期として僕も負けていられないなと思ったが、僕には実は大きな経験が不足していた。

それは『自転車の組立』だ。

 

トイザらスでは、自転車が販売されており、倉庫の中ではスペース確保のため全て組み立てられてはいなかった。レジに通った商品は、その後くみ上げをして最終的には社員が点検をしてお客様に渡されるのであった。

僕は、当初の配属がベビーザらスであったことからこれらのスキルが抜け落ちていた。

逆に当時から少しずつトイザらスにもベビー用品を置いていることもあり、同期の子には僕に持っている力は全て備わっているように感じた。

 

ただ、勤務時間中に先輩の手を止めて聞く訳にもいかないし、そもそも僕の帰りは基本的に最終電車に突っ走るような生活だったこともあり、その不足したスキルを補う時間は無かった。

僕はある意味割り切って自分に出来る仕事を必死でやった。埋まることの無い力量の差に悩む暇も無いほどに必死で食らいついていった。

3.僕にもできる仕事

きっと今考えると一番店長が頭を悩ましたに違いない。自分のマネジメントする店に突然ベビーザらスしか知らない社員が配属になったのだ。

 

ただ、唯一僕が同期の子と同じように出来る仕事がサービスカウンター業務とレジ周りの業務だった。

サービスカウンターでの仕事は、電話対応やお客様対応だ。所謂クレーム対応ってヤツだ。突然電話で怒られることなんてもう慣れた。

そして、レジ周りの仕事はレジ開放のバランスやレジ応対のマネジメントだ。レジのお金が少しでもズレればすぐに原因を探らなくてはならない。

 

確実に出来ることだけでも必死にやろう。僕はとにかくがむしゃらに働いた。昼ご飯は巨大なおにぎりをマジックミラー越しに店内を見ながら急いで食べる。

体重はあっという間に減り、入社して1年が過ぎた時には15㎏ほど落ちていった。

クリスマスなんか本当に忙しく。25日は本当に恐怖だった。売った商品の不良対応に追われるのだ。そもそも、トイザらスは自分たちのブランドで出している商品は決して多くは無いので『おもちゃを作る会社』では無い。冷静に判断したらあれだけ大量の在庫を店員が全品動作チェックなんてするわけない。でも、お客さんの怒りは全て『買ったお店』に注がれる。

ストレスを感じる暇も無いほど毎日本当に忙しかった。

4.『声』が出ない…

ある日のこと、僕は車で出勤しようとする途中、急に気分が悪くなりコンビニに車を止めた。その辺りからの記憶は曖昧ではあるが、立つことが出来なくなり、救急車で病院に運ばれた。

突然のことであったが、点滴を打ち、恐らく過労からくるものだろうと言われていた。その後、母が病院にやってきたその時だ。

『声』が出ない

いつも喋ろうとする時に何かを意識したことは無い。散々1日中喋っているような僕から『声』が消えたのだ。

ただただ、パニックだった。色々な気持ちが巡ったが何を考えていいのかわからない。

色々な検査をしても声帯など機能には何の問題も無かった。でも、声が出ないのだ。

その後、心療内科にも行ったが、『仕事のストレスが原因だろう?』ぐらいのことしかわからなかった。

家族からの励ましも、友だちからの励ましもその時が過ぎればまた効果は無くなる。数日経っても僕の『声』はどこかへ行ってしまっていた。

正直、その時感じた『ストレス』『不安』よりも大きなものに出会ったことは未だにない。

5.『諦める気持ち』が前向きの力に

毎日自分の精神をズタズタに削って生きていた。

仕事は辞めることになった。声が出なくても出来る仕事ではない。かといって続けていける自信すら失っていた。

だが、仕事を辞めた辺りから少し気持ちが吹っ切れていった。色々なことを『諦める』ようになったのだ。悩んでも、明日のことすらわからない。

コンビニで聞かれる「温めますか?」の返事が出来ないことに悩むより、ニコリと笑って首をタテに振る方がずいぶん前向きに生きられることに気がついたのだ。

そして、「声が出なくても出来る生活」を「今までの生活に声だけ抜き取る生活」に変えようとし出したのである。

ある日は、小学校の特別支援学級のボランティアにも参加した。子どもたちに声が出ないことを他の先生が伝えてくれたのだが、ある子は。

「先生、ええなぁ。返事せんでも怒られへんな。」と言っていた。かなりの変化球の励ましが心に刺さった。

6.ガイダンスだと思えた瞬間

もう色々と『諦め』が付いた辺りから僕の心は明るかった。

とにかくその日の気分で動いていこう。そう思うしか無かった。

 

ある日のことだ。僕は、子どもの頃から縁のあった『山歩き』に行こうと決めた。時間は山ほどある。兵庫県の宝塚駅からとにかくのんびり散歩して飽きたら家に帰ろう。くらいに山を歩いていた。

家に籠もっていても気分は悪い方に向いてしまうことが多かったこともあり、『山歩き』は僕にとって都合が良かった。汗をかいて適度に疲れた体は本当によく眠れるのだ。

駅から住宅街を登っていくと『塩尾寺』というお寺があり、ここからが山道となる。自然を感じながら何も考えずに歩く。本来、仕事に励んでいる時ほど『こういう時間』が必要だったんだろうが、忙しいと気が付かないものだ。

そして、運命の瞬間がやってきたのだ。僕自身全く予想もしていなかった。

山を歩いている人はわかることかもしれないが、登山をしている人は行き違う人同士でよく挨拶を交わす。

もちろん僕は、『声』が出ない。挨拶といってもペコリと少し会釈をするだけだ。それでも、いつもの癖ですれ違う人には必ず頭を下げていた。

 

宝塚から登っていくと『大平山』という山がある。大きな鉄塔のある山だ。僕はいつもそこで一休みする。景色なんて見えやしない、ただ一山越えたという達成感だけを胸に水分を補給する。

 

その時だ。突然、自分の来た道とは全然違う方向の小さな道から人が現れた。僕はその細い道に全く気が付いていなかった。

『こんにちは!』

驚きの拍子に僕の『声』が出た。

「え!?」

僕は正直疑った。1ヶ月以上どんなに出そうとしても出なかった『声』が出たのだ。出ない時よりも出た時の方が衝撃だった。

すぐに家族に伝えないといけない。そう思い携帯を確認した。

圏外…

この辺りの記憶は、曖昧である。とにかく電波のある所を目指し走って降りた。予定は変わった。この喜びをすぐにでも家族に伝えたい。僕は船坂の方に走って降りていった。とにかく、今は電波を探すことが第一だ。

やっとのことで繋がった携帯で家族に連絡を取り、とりあえず一番近い実家へと向かった。とにかくその日は嬉しかった。

7.心と体のバランス感覚

僕自身、大学卒業後の数年はあまり記憶が無い。

色いろなことを経験したからこそ『今』の自分がある。これはキレイゴトでも何でもなくて僕が身をもって感じている。

辛いこともたくさんあるし、別に今だって順風満帆何でも上手くいっていますなんてことは一切無い。これからの人生だって、子育てだって『不安』だらけだ。

 

でも、僕の人生を突き動かしてくれるのは、『気付きもしないようなところから飛び出してくるようなもの』なのかもしれない。

僕はすぐに周りが見えなくなるほど何かに没頭してしまう。それが原因で心と体のバランスをよく崩してしまう。

だが、いつもいつも両方リズムよくなんてことは僕には難しいことだと気が付いた。

何かが上手くいかないなら別にまっすぐ歩かなくたっていい。片方だけでピョンピョン跳ねるようにして生きたって構わない。這いつくばってでも前には進める。ずっと同じが出来ない僕にはちょうどいい生き方なのかもしれない。

僕の人生を僕だけのものだと思おうのはもう辞めた。支えてくれている家族。なんだかんだ言いながら僕の考えに手を叩いて笑ってくれる仲間たちには本当に感謝している。

そして、もう男性だったか女性だったかも忘れてしまったが、僕の人生を大きく突き動かしてくれた鉄塔の下で出会ったあなた。

『たすけてくれてありがとう』

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