子どもに「学習」を「させる」前に知っておいて欲しいこと

子育て

こんなタイトルで書き出すと「あぁまた大人にとって耳の痛い話を書くの?」と思われるかもしれないけれど、書きます。

僕は2012年の4月から小学校で働き、もうずいぶんと長く教育の仕事に携わっています。大学生の時には近所の小中学生に家庭教師をやっていました。それこそ大学生の頃は結構厳しく宿題を出したり、ミニテストをしたりとかなりの管理主義的な学習指導をしていたので、多少の点数を上げるためのノウハウはある程度わかっています。それでも教育の仕事をプロとして10年以上、公立小学校という後ろ盾が無くなってから4年以上自分で立ち上げた教育施設の仕事でご飯を食べてこれる実績があります。その上で言いたいことがあるのでこうしてブログに書こうと思った次第です。

僕はずいぶん前から「点数」を上げるための学習指導を仕事の上ですることを辞めました。
これは何も「点数」を上げるための学習指導を否定しているのではありません。むしろ「教科学習」に取り組むことが得意で「学力」が高い子に関してはそういうプロフェッショナルと出会って、学びをより高めて日本を引っ張っていくような研究やキャリア形成をして欲しいなと真剣に願っています。
でも、そういうレベルの子の学習って究極オンラインが一番効率が良いと思うんです。マンツーマンレッスンや大手の学習塾のプロフェッショナルのめちゃくちゃ面白い講師の授業を受けて、あとはひたすら演習を積み重ねて自分の力を高めていくことの方が効率が良くないですか?点数レースの競争なら教室の中でめちゃくちゃ競い合いがあって周りの友だちと切磋琢磨するくらいの方が「点数」は上がると思うんです。しかし、こういう学習指導は僕の日頃狙っている「教育」とは全然違うんです。だから混ぜるな危険で、この「教育方法」で向かう先の価値は一切否定するつもりは無いし、競技が違うくらいにしか思っていないんです。

僕がターゲットにしているのはどんな子か?「勉強は自分のペースで良いからゆっくりでも確実に自分のために努力するくらいで、他に人生に大切なことを学んで欲しい。」という考えを持つ家庭に育つ子どもたちです。こういう親の考えがあるなら僕が考える「成長する力」を高める学習指導で十分近所の公立高校くらいなら合格させられるノウハウはあります。
ただしリスクもあります。本人が「勉強が嫌い」「親や大人にイヤイヤやらされている」場合は全く伸びません。なぜなら、僕が見ている時にしかほとんど勉強をしないし、そういう子のほとんどは宿題をこなすことが勉強のゴールだと思っているので自分で工夫することをしないんです。宿題も課さない、授業もしないそんな学習指導でも子どもが動けば確実に点数は伸びます。実際に、僕が運営している家庭学習応援施設My Placeからもそれなりに偏差値も高いとされている行きたい公立高校に週1~2回の学習支援で合格していっています。

結論、「点数」が伸びるためには自分でやるか、やらないかの問題がほとんどで、やる子は放っておいても伸びる速度は違えど確実に伸びる。

だってインターネットがあるので、わからないところだけ調べりゃ僕より遥かに教え方の良い人に辿り着いてくれるんです。だから、僕がやるサポートは色々な学習法やツールをひたすら紹介して、その子の成長したいルートに一番近づけるような学習法を提案して応援することなんですよね。

結論その2、自分でやらない子はきっと勉強よりも何よりもやらないといけないことがあってそこに向き合わない限り、一生その問題を引きずるから教育者として生きる以上そこを解決に導ける場所を作ることが大切。

認知スキルと非認知スキルという言葉があります。ここでは書くと長くなり過ぎるので割愛しますが、まぁ超絶簡単に言うと認知スキルはお勉強系の読み書き計算的なスキル、非認知スキルはそれ以外のスキルです。感情をコントロールしたり、他者とコミュニケーションを取ったりする力ですね。現代の教育ではこのどっちの力もやっぱり必要だよねって流れが出ています。だから「非認知スキル」で調べると結構放課後等デイサービスや学習塾が出てくると思うんです。勿論、教科学習していても非認知スキルが高まる可能性はあります。でもね、例えば料理教室行って「うちは他の料理教室の3倍の重さのフライパン使っているから筋力アップにつながります!!」とか言われても、「はぁ?確かに……」とは答えても素敵ってならないですよね?
3~4年生辺り、5年生辺りで学習につまずいたり、ミスが増えたりする子って実際にいるんです。でも、それって点数だけの問題を見ても解決しないことがほとんどなんです。学校の仕組みやクラスの仕組み、場合によっては家庭での学習するリズムなど結構分析しないとわからないんですね。場合によっては教科学習に必要な認知スキルの問題では無い可能性も結構あるんです。そこをほったらかしにして「点数」だけ求めにいったってすぐに限界がきてしまうんです。するとどうなるでしょう?あとは多くの場合、ある時間とお金をぶち込んでまた学習塾とかに行くんだけどやっぱり問題は先送りなんですよね。

やっぱり僕は教育者として今目の前にいる子の表情も大切にしているけれど、その子の将来もすごく考えています。僕は教育者であるけれどどこまで行っても他人なんです。だからこそ、目の前にいる時だけ上手くいっているじゃダメなんです。僕たちの目の前から離れっていった子が幸せになるために進む力や環境を整えてやりたい。だから、言いにくいこともハッキリ言って大人にもわかってもらおうとこうした記事も書くんです。

これだけ長い記事を書いているのでここまで読んでくれている人は僕を知ってくれている人がほとんどだからその前提で書きます。

僕は自分でビジネスをしているので「お金」を稼ぐことに否定的ではありません。だから「教育」や「福祉」も実力のある人がしっかり稼いで憧れられるような仕事にしたいと思っています。
だけど、今子どもの周りの「お金」に対して不自然なビジネスが成り立ってしまっているなと思うんです。
例えば、公立の中学校や小学校に行っててもほとんどの子が塾に行っている。場合によってはそうじゃないと公立高校への受験が出来ないみたいな声をたまに聞くんです。でも本当にそれで良いんでしょうか?教科書は無償で配られていて、問題集だってほとんどの学校は購入して学習を進めている。学校で毎日授業がなされているのに追加費用が発生する。本当にそれで良いんでしょうか?大人がしないといけないことって「先生どんな授業しているの?」とチェックすることだろうし、何十年も前から変わらないようなスタイルの授業を続けていたら「それって本当に正しい教育なんでしょうか?」と声を出すことが大切なんではないでしょうか?

日本は子どもが多かった時代、景気が良かった時代の学歴社会的な風潮はだいぶん少なくなっていると思います。子どもがどんどん減っています。でも、学習塾の生徒って増えているんですよね。偏差値や学力レースで戦わないスタイルの私立学校が急激に使い出した言葉「個別の配慮」と「多様性」です。こういう言葉を並べると子どもが集まるってことなんですよね。でもね、僕は教育の仕事をプロとして10年以上やっているけれどこの2つの言葉を本当の意味で実現させないといけないのって選んだ人が行く私立ではなくて地域の人誰もが行く可能性のある公立の学校じゃないですか?

僕は教育の仕事をしていて多くの子どもや家庭の結構コアなお話を耳にします。
でも、やっぱり子どもってその子の今に本当に必要なことじゃないことって上手く進まないんです。大人が一生懸命勉強させようと思ってもサボったり、ズルしちゃう子には、やっぱりまずはサボらない人になることやズルをしない誠実な子になるための学びに向き合うべきだと思うんです。子どもってやっぱり正直でちゃんとピタッとハマる関わりを提供すれば楽しく笑って過ごしているし、見当違いなことを提供すると何だかなんだと理由付けて別の方向に話進めてくれるんです。年度末の3月って来年から中学生とか、受験生とかで大人が焦っちゃいがちなんだけど大人も冷静に子どもの成長に向き合うことって大事なことだと思うんで、こんな記事を書いてみました。

もし、この記事を読んで相談や気になることがあれば初めての方でも問い合わせから連絡してもらったら相談には乗ります。長い文を読んでいただきありがとうございます。

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