こんな記事を見つけた。
簡単に言えば、授業の時間数を標準時数から学校毎に工夫する余地を作っちゃおうかな。って話だ。
僕自身としては「そりゃそっちの方が良いに決まっている。」という気持ちがあるけれど、心の半分では「また、乱暴なこと言っちゃって…」と思ってもいる。今日はこのニュースを元にしながら『学校文化が変わらない理由と今後の予想』を書いてみようと思う。
イノベーターはいないのか
現代の教育を語ると「学校はいつまで経っても考えが古いよね。」という意見が聞こえてくる。
僕はその点は賛成なのだが、学校の中に7年居た身から言えるのは「いやぁそりゃ変わらないのも無理は無いよ。」とも思っている。
僕は学校が好きでは無い子どもだった。別に毎日楽しく過ごしてはいたが、心の底から「つまんないな。」と思っていた。友だちと会えるというただ1点において学校が好きだったくらいだった。
ただ、そんな「つまんない」は全てでは無かったということを知ったのも『教師』での経験があってこそだった。
『教師』として出会ったたくさんの先生方の中には今や今までの「つまんない」を増殖させるような学校文化にメスを入れようとしている先輩がたくさん居た。一緒に話していて本当に楽しかったし、めちゃくちゃ尊敬した。特に僕に体育の授業を教えてくれた先輩方は尊敬に値する人たちがとても多かった。
運動が苦手で太っていた僕は体育の授業を真面目に取り組んだ覚えは無い。ほとんどやらずにすぐふざけるそんな少年時代を送っていた僕は体育もまた嫌いだった。例えば跳び箱や鉄棒の授業は、得意な子やよく出来る子が見本になって、時々先生が見本を見せる。ただ、それを見て良いイメージを持ったって出来やしない。笛を吹かれりゃ順番にやらなきゃいけないそんな『体育』に何を学んだのだろうか?自分の不甲斐なさと努力出来ない自分がそこに居ることくらいだ。
じゃあ僕が尊敬していた先輩は僕と歳が近いか。そんなことは無い。もう定年間近かもう定年を迎えようとしている人から、各世代に分かれていた。そんな先輩方は間違いなく僕の知るよくある『体育授業』を変えようと熱心に研究するイノベーターがたくさん居た。
その後も僕の知る『国語』『社会』『英語』『人権』など「つまんない」を断ち切るような実践をしているイノベーターにたくさん出会ってきた。でも、これはあくまでも少数派なのだ。なぜ、もっと前向きな意味で「変えよう!」とする動きにならないのだろうか?
データを取らない教育文化
これは『教育』に限った話ではないかもしれないが日本の『教育』はあまりデータを取らない。もちろん国レベルではある程度大くくりなものは取っている。でも、学校レベルではデータを分析する部署がそもそも存在しない為そんな余裕は無い。
もちろん世の中のことはほとんど全て「やってみないと完全にはわからない。」だが、どこまで突き詰めても「人による。僕は良かった。私の経験上良かった。」だけで全国民が必ず受ける権利を有するほどの国家一大プロジェクトを動かしていくのはかなり危険だ。
文部科学省は時々今回の提案のように「もっともだよね!」と言った通知を出す。決して現場の声を聞き入れないような人ばかりではないのかな。と感じるようなことが発信される。文部科学省が発信し、そこに都道府県の教育委員会がローカルルールを足し、市町村の教育委員会が独自の方針でかみ砕き、それをもとに各学校の管理職がそれぞれの判断で運用ルールを決める。上はいつも言う「それぞれの実態に応じた柔軟な運用を!」と。
僕の住む西宮市では通常3~4年で管理職は転勤になる。データを取る暇も無い。多様な価値観の児童生徒、そしてその家族の想いにフィットした意味深い改革を!なんて通常起こせなくて当たり前だと僕は思っていた。
例えば、一学校の管理職が『教育』というかなり時間を掛けて丁寧に向き合わなければいけないテーマで、データも十分には取る暇も分析する暇も与えられずに『大改革を!』なんてハナから詰んでいる。
今後の予想…
こういう風な大きな『発信』があると市民は少なからず『期待』を胸に寄せる。ただ、こんな環境下で「んじゃ、うちの学校は算数の授業削って伝統文化を教えるよ!」と言い出せるだろうか?そんなことやって本当に意味があるのか?と言った個人攻撃が始まれば『管理職』や『教員』だって辛いに決まっている。ましてや時間の掛かることを大改革してすぐに転勤が決まり結局数年で子どもを振り回すだけの試みになる恐れを考えるとなかなか動きにくい。
そうした中「ええぃ、何かよくわかんないけど私にはすごく意味があったし、こういうことにしちゃおう!」みたいな力業を放つ学校が出たとしたらさらに危険だ。その学校は現状を踏まえて工夫をしない『学校』のように映ってしまうからだ。すると結局、何となく何もやらないワケでは無い『やんわりとした変化』だけを巻き起こし、現場『教師』のハンドリングを鈍くするだけのローカルルールが生まれ、隣の学校の変化や周りの学校の変化に敏感な保護者の意見にまた右往左往しながら日々を過ごさないといけない可能性が生まれる。
僕は『教師』という仕事が本当に好きだった。先輩にも恵まれ色々なことを教えてもらった。同僚ともたくさんの苦労を共に乗り越えて働いていた。でも、あれだけたくさんの優秀な先生方がそれぞれ末端で『優れた実践』を繰り返し、『鋭い意見』を放ち、それでも変わらなかった『学校』という場所を変えるためには先輩たちと同じ方法では僕に力が無い分、同じ想いを繰り返すだけに終わってしまうことが嫌だった。僕はより多くの子ども、家族、先生の『笑顔』に溢れる学校にするために『教師』を辞めた。サポートすることは時々歯痒い想いをすることもある。それでもやっぱり僕は『教育』の未来を希望を持って見続けていきたいと感じている。
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