僕は子どもに関わる仕事をしていてとにかくたくさんの悩みを聞くようになった。その中でも圧倒的に多いのは『スマホとゲームの話題』である。
子どもたちが、まるで中毒になったかのようにのめり込んで行くことで『学習』や『生活』をおろそかにして『無気力』になっていく。確かに僕はこれについてはかなり課題意識を持っている。今日はその辺りの話を書こうと思う。以前にもこのような記事を書いたことがある。
時代の変化を正しく捉える
僕は必ずしもスマホやゲームに否定的ではない。なぜなら、あくまでもどちらも『物』だからだ。自分の生活を彩ってくれる『道具』でしかない。
僕はある企業の面白い取り組みを見つけた。
ゲームばかりやる子やゲームが好きな子が、ゲームに没頭することを容認するために「昔と違ってゲームを続けていればeスポーツでめちゃくちゃ稼げる可能性があるじゃないか。」というのはかなり乱暴な論調だなと僕は思う。メジャーリーグで大金を稼ぐ人が居ても、サッカー選手が大金を稼いでも、それだけで食べて行けるということには繋がらないので、その論調では、多くの人は納得しないだろうし、子どもの諸問題は解決しないと思う。
ただ、僕はゲームの家庭教師しかり、何事も突き詰めたり、好きなことは『前向きな一歩』に繋がる可能性がある時代になっているという点ではとても喜ばしいことなのではないかと考えている。
『道具』は中立
ゲームにしても、スマホにしても、もっと言えば『お金』だってあくまでも道具は中立だ。子どもの発達に対しても良くも悪くも働く。
ただ、ゲームやインターネットに対して依存傾向にある子は、『他への興味がどんどん低下していくこと』に問題があるのかもしれない。人との関わり、家族の関わり、健康な生活など捨ててはいけないものまで捨ててしまうことはやはり問題だと感じる。
ゲームは『褒め上手』である。という話を聞いたことがある。
良い褒め方は、①即時性②明示性③多様性④間欠性が適切でないといけないと言われている。
つまり、何の意識もしなくてもアイテムを取れば良いことがあって(即時性)音やグラフィックでハッキリと伝え(明示性)色々な反応があり(多様性)それぞれのレベルにあった達成プログラムが組まれる(間欠性)を持つゲームに没頭する子がいるなら、周りの大人はそれを越える関わりをしないといけない時代なのである。
とは言え僕は大前提『コミュニケーション力』や『没頭できる力』や『行動力』と同じくらい『学力』を身につけることは大切だと感じている。
もし、子育てや教育の中で上手くいっていないことがあるならば、一度立ち止まってその子自身がまずは周りに認められ、愛される人で居続けられる環境整理を考えてはいかがだろうか?
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