僕が『子育て』で大切にしていること。
それは、『自立』だ。
子育てにおいて「どうなって欲しい!」「こういう大人になって欲しい!」というのは正直あまりない。自分の人生は自分で決めれば良いし、好きなようにすれば良いと思う。もちろん、何も言わないわけではない。親の意見は言ったとしても、子どもたちが従わない時も大いにある。それならそれで良い。
子どもにもこれは明確に伝えていて『命に関わること』『健康に関わること』『誰かを傷つけることに繋がること』には十分注意して、場合によっては『叱る』でも、そうじゃないならその決定権は委ねる。と。
我が子は小学3年と1年。間違った判断をすることもある。こうすれば良いのにと思うこともよくある。でも基本的にはその決定権は彼らにある。
今日は我が家の子どもたちに意識して教えている『自立』について書こうと思う。
朝は自分で起きることから
うちの子たちは毎朝6時に起きる。自分たちでそれぞれ目覚ましを仕掛け、自分たちで起きる。
そもそも数年前まではそうでは無かった。上の子が小学1年の時には僕ら親が6時に起きて6時半頃子どもたちを起こしに行っていた。
彼らが自分で起きるようになったのは、上の子が小学1年の冬休みからだ。ニンテンドースイッチを手に入れてポケモンをやり始めた上の子は言った。
「朝ゲームやっても良い?」
「自分で決めて。他の家族が困らないなら自由にどうぞ。」
彼は考えた。自分が起きることで誰かが困らないようにする。目覚ましをセットしよう。次の日に着る服はあらかじめ用意しておこう。眠くても動き出せば眠くない。とまぁこのような流れで30分のゲーム時間確保の為に『自分で起きること』を彼は選んだ。
僕は小中学生に関わる仕事をしていて自分で朝起きていないという子が多いことに少し驚いている。朝起きるということは基本的には1年で365回も練習機会がある。これが自発的に出来ないならばもしかすると血圧や他のことに問題があるかもしれない。逆に、自ら起きないで良い環境で夜更かしを抑制しようとするのは本末転倒だ。自分の体は自分がよく知っている。夜になったら眠たくなるような生活。ぐっすり寝て自分で目覚める生活はきっと人生の基本だ。基本的には起こして起きれるなら、自分で起きれると考えた方が良いし、逆に起きられないならもしかすると他に原因があるかもしれない。まずは『自立』の一歩として自分で起きるをしてみてはどうだろうか。
スケジュールは自分で決める
基本的に『宿題』をしろと言うことはしない。
なぜなら『宿題』は学校と子どもがした『約束』だからだ。これは学校で働いている時からそうしていた。子どもが『宿題』をするかしないかは『子ども』と『学校』が取り交わした『約束』であって、それの『必要性』や『内容』『取り組む態度』の指導の責任は『学校』にある。
もちろん、『家庭』での様子は見えないので時々電話してお家での様子を聞いたりはしたが、「宿題をやらせてください!」と言ったことはない。
なので、僕も親として「宿題」はやりなさいとは言わない。家に帰ってすぐにやろうが、夜にやろうが、次の日の朝にやろうがご自由にどうぞ。という感じだ。これにはスケジュール管理という側面と『勉強は自分に必要なもの』ということを伝える意図がある。僕たち大人にとっても『学ぶこと』は常に必要な行為であり、さっさと終わらせてあとは何もやらないなんていうものではない。体を休めることも、自分の好きなことに没頭することも、人との約束を果たすことも人生において大切なスキルだ。それをどの順番で、どのようにこなすかは子どもが決めることで意思表示することの『自立』に繋げている。
生活を変えるきっかけは子どもに
最近、我が子たちは、自分たちで寝る日が増えてきた。僕たちは『自立』の一歩目は必ず子どもからの提案で踏ませるようにしている。
なぜなら、「挑戦したい!何とかしたい!」という気持ちが一番強いのがその時だと思っているからだ。
そもそもなぜうちの子が自分たちと寝ることに踏み切ったかということであるが…
始まりはこんな出来事から始まった。うちの子たちは夜8時になったら自分たちでリビングを片付け、明日の用意をすることにしている。その間に奥さんは食事の後片付けをしてくれている。ルールとしてはあるべきものはあるべき場所に、わからない場合は『迷子用かご』に入れる。ただ、それだけだ。
だがある日子どもたちは言い出した。
「もう少しテレビが見たいんだけど。」
こちらから提案したのはこうだ。
「20時にお風呂に入るのは夜寝る時間が短くなって健康が保てなくなると困るから。でも、もう少し遅くても大丈夫だというのであれば延長しても良いよ。ただ、あなたたちの自由で時間が遅くなり、それによって大人の片付けの時間が遅くなるのは困る。だから、テレビを見たいなら自分たちで寝る。一緒に寝て欲しいなら今すぐお風呂に入る。それは自分たちで決めたら良いよ。」というような具合だ。
テレビを選ばなかった日は通常通り寝る部屋に両親どちらかが一緒に入って寝かしつけている。
もう〇歳だからこうしないといけないという感覚はあまりない。子どものタイミングで一歩を踏めるまでは基本的には待ってみて、必要に応じて「じゃあこうしてみたら?」という提案をしている日々である。
チャレンジしたい!こそ『自立』の第一歩
大人はついつい効率的に過ごせるように『他の子と比べたり』『失敗の芽を摘んだり』して『自立』させようとしてしまう。
でも、僕たち人間が新しい一歩を踏むことは基本的には怖い。今困っていないならそのままで居たいと願うのは自然な心の反応なのでは無いかと思う。
勉強しなくては学年が上がれないなら小学生から必死になって自ら学ぶだろうし、真面目に生活しなければご飯も食べられないような社会なら必死に頑張るだろうと思う。ただ、やっぱりその必要感はあくまでも子ども本人に握らせてやるような子育てを心掛けたい。
コメント